ソーシャルワーカーチーム あそぶんそだつん

ごあいさつ

20××年、夏休み。子どもたちはどこへ行ってしまったのでしょう?子どもたちは四角い小さなものに支配されてしまっている。 らんらんとした目と閉ざした口。お父さんもお母さんも友達も同じ部屋でそれぞれの時間を楽しんでいる。静かな夏休み。

今、子どもたちの遊びの風景はすっかり変わってしまいました。
ゲーム、ケイタイ、パソコン、テレビ…子どもたちの遊びの主役は、自然や人から、四角いものへと変わり、そこから得た知識を競い合います。 子どもたちは身体や心に汗することなく、手軽に楽しみ、知識を得て「体験したつもり」のまま成長していきます。 子どもの専売特許だったはずの「遊び」は、親の意図見え見えの「学習手段」にすりかえられ、その商売も大繁盛です。 サラリーマン並みのスケジュールで遊ぶ時間がない、危ないから大人の管理下でしか遊んではいけない、そもそも遊びたくても周りに子どもがいない、 これら「3ない」のため、うまく遊べない子どもが増えています。

子ども時代の大切なお仕事、「遊び」は、大人から見ると、危なっかしく、残酷で、汚く、大概無意味なものです。 でも、無意味なところにこそ意味があり、「遊び」それこそが遊ぶ目的なのです。何かとストレスの多い、子ども社会の発散の場でもあります。 「遊び」は子どもの生活、姿そのもので、心身を丈夫にするのはもちろんのこと、社会性、知的好奇心、情操…長い視点で見ると、 実は人生に必要なことは「遊び」の中から学ぶことが多いことがわかります。人や自然とのびやかに遊んだ経験の乏しい「子ども時代」を過ごした大人が増えたとき、 皆さんはどのような社会になるとイメージしますか?

私たち大人は、子どもが子どもらしく過ごせない環境にしてしまった責任として、昔はよかったと現状に眉をひそめるのではなく、その子ども環境を構築し直していくことが大切ではないでしょうか。 その場を作り、子どもにとって自由に主体的に遊ぶことの大切さを親や地域の皆さんと共有し、いっしょに育てる意識を持っていくことが急がれます。 そして、もの言えぬ子どもの声を聴き、判断し、発信していくためには、場の設定以上にスタッフの力量が問われます。立派な建物、イベント、集客数ではなく、 そこにいるスタッフこそ命運をにぎっているのです。この道のプロチームの存在が必須条件です。

私たちは冒頭に述べた子どもの未来図が現実のものとならないよう、今、行動を起こします。私たちの名前「あそぶんそだつん」は讃岐の方言です。「遊ぶんだ育つんだ」という意味です。 主語はもちろん「子ども」です。「ぼくたちは遊ぶことで育つんだよ」という子どもたちから大人に対する強い意志と願いのメッセージです。そして、「大人の幸せのために子どもを産み育てるのではなく、 子どもの幸せのために大人みんなが手を取り合っていこう」という願いを シンボルマークに込めました。私たちは、子どもたちが子どもとしての大切な宿題をきちんと修めて大人になる、 というごく普通のことができる環境づくりのために、様々な事業を展開していくソーシャルワークチームです。

岡 村 晴 子

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